山陽Do?の素材

江戸時代の山陽道を、山口県下関市から兵庫県西宮市まで歩いてたどる番組です。
当番組を放送されているケーブル局の、番宣にお使いいただくための素材です。
使用される場合は、ご連絡ください。
クリップのサイズはいずれも350dpi 1920×1080pix(番組ロゴ除く) テロップなし(テロップ・サイドスーパー入りをご希望の方はご連絡ください)



オープニングタイトル
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番組ロゴ
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久保田修治プロフィール 
 
広島県編素材

第1話
下関市
観音崎町~唐戸
下関市唐戸地区から番組はスタートするが、国道9号沿いに建つ山陽道の大きな石碑は山陽道の起点・終点を示すものではなかった。そこで本当の起点とされる観音崎町の永福寺前まで、南西に約1キロメートル下る。山陽道沿いの山口銀行旧本店などを紹介。

オープニング
下関市唐戸のカモンワーフ前


画面右端に少し見えるのが国道9号。左が旧国道で山陽道。山陽道の起点(終点)向かっています。

やまぎん史料館。
山口県指定文化財
やまぎん史料館。


やまぎん史料館。
小松支店(周防大島町)で使われていた金庫

第2話
下関市
唐戸
前回に引き続き下関市唐戸地区。山陽道の石碑の前から亀山八幡宮へ。同八幡宮の石鳥居は御影石のものとしては国内最大。境内には、お亀明神や幕末の亀山砲台跡など。シメは坂本龍馬が最後に夫婦で過ごした「本陣伊藤邸跡」。

下関市中之町の亀山八幡宮前。9号線沿いに石碑が建っていますが山陽道の起点ではありませんし、この辺りの国道9号は山陽道でもありません。
亀山八幡宮の境内にある「おかめ明神」の前で。

亀山八幡宮の子持ち狛犬



カモンワーフ(唐戸)のソフトクリーム屋さんで。

亀山八幡宮前
「床屋発祥の地」碑

第3話
下関市
壇ノ浦

下関市阿弥陀寺町の春帆楼の前から出発。春帆楼の敷地内には「日清講和記念館」が建つ。その隣が赤間神宮。同社は元々阿弥陀寺というお寺だったが、明治に神社となった。国道9号沿いには「上方道」の道しるべ。関門橋をくぐってみもすそ川公園へ。

ふく料理の公許第一号店、春帆楼さんからスタート。
赤間神宮。


国道9号沿いに大きな道しるべが建っています。「右 上方道・左 すみよし道」
上方道というのは山陽道のこと。

みもすそ川公園。幕末の大砲のレプリカが並べられています。

第4話
下関市
みもすそ川町~前田
下関市みもすそ川公園を出発。山陽道は火の山ロープウェイ壇ノ浦駅から少し東に進んだ辺りから残っている。下関市火の山ユースホステルで60~70年代の旅と現在の旅行の違いなどについて取材。国民宿舎、朝鮮通信使、一里塚について紹介するなどテーマはツーリズム。

みもすそ川公園前をスタート。後ろは関門トンネル人道入り口と関門プラザ

火の山公園の入り口。この辺りの山陽道は消えています。

火の山ロープウェイ壇ノ浦駅の前を通過。

国民宿舎海峡ビューの裏辺りからが山陽道。いるのは国民宿舎の駐車場。

前田までやってきました。前田には一里塚がありましたが、痕跡は全くありません。今回はここまで。

第5話
下関市
前田~長府

下関市前田から県道246号を歩いて城下町長府を目指す。県道246号は野久留米街道と呼ばれ維新の志士たちも往来した道だが、沿道に史跡や観光地といえるものはない。長府博物館、高杉晋作が挙兵した功山寺、長府毛利家の菩提寺の笑山寺を紹介。

前田交差点の近くから出発。この辺りの国道9号は山陽道ではありません。1本北西の道が山陽道。

1本北西の道沿いに、史跡などはありません。

この辺りの県道246号は「野久留米街道」といい、維新の志士たちが往き来した道。道そのものが史跡といえるかも。

写ってはいないが二人の後ろ(画面左)に功山寺と長府博物館。前を通っているのが山陽道。


 第6話
下関市長府
下関市長府の毛利邸前からスタート。長府毛利邸は長府毛利家14代当主・毛利元敏によって造られ明治36年に完成した。その前年には明治天皇の行在所となり一部の部屋は当時のまま残されている。他に菅家長屋門、侍長屋などを紹介する。

長府毛利邸の前。

長府毛利邸に入ります。

管家長屋門。菅家は長府藩の侍医。

侍屋敷長屋。



 第7話
下関市長府
長府二の宮の忌宮神社から出発。明治の陸軍大将乃木希典を祀った乃木神社や正圓寺の大イチョウなどを紹介。。

忌宮神社は、かつて長門二の宮。(一の宮は下関の住吉神社)

忌宮神社の境内にある「鬼石」。この神社には「穴門豊浦宮(あなとのとゆらのみや)」という皇居が置かれていたと日本書紀に記されている。

明治の陸軍大将乃木希典を祀った乃木神社。

乃木さん通り商店街を進みます。

正圓寺の大イチョウ(県指定天然記念物)

 第8話
下関市長府
下関市長府金屋町の印内西交差点の近くから出発。しかし「田上菊舎旧宅跡」の説明板以降長府駅前まで、史跡のようなものはない。

印内西交差点の近くから出発。

印内川に架かる鞏昌橋(きょうしょうばし)。江戸時代には長府の町と村の境だった。

印内西交差点を渡って100メートルほどの所にある菊舎旧宅跡という説明板。田上菊舎は加賀千代と並んで称せられた江戸時代の女流俳人。

菊舎の墓と碑が徳応寺にあるとわかり引返すことに。写真は徳応寺の碑。

長府駅の近くまでやってきました。

 第9話
下関市長府駅前~王司神田
下関市の長府駅前から出発。しかし、ここは長府ではなく松小田。

長府駅前から出発


国道491号をくぐって進む。国道491号は旧2号。

宇部一里塚跡。


神田川に架かる神田橋。

石橋は江戸時代後期の文化8年に架けられた。現在はコンクリート橋で、そばに石橋の欄干が残されている。

 第10話
下関市清末
下関市清末は、江戸時代には清末藩だった。長府藩から分地して立藩しています



清末八幡宮。


下関市立東部中学校の敷地に、清末藩の藩邸があった。

陣屋の池。

孝行塚(孝女政の碑)


第11話
下関市小月
下関市小月は、江戸時代には小月市(いち)として栄えた商業地。 

小月茶屋。江戸時代の小月は半宿。



県内最大の庚申塚。

小月神社。破風に特徴があります。
 

第12話
下関市吉田
下関市吉田は、江戸時代には萩藩の吉田宰判に属し、この地域の政治の中心地だった。幕末には奇兵隊の拠点の一つで、高杉晋作を弔うために建てられた東行庵には、高杉晋作をはじめ多くの隊士の墓がある。

吉田木屋川河川公園から出発し、吉田の中心部に向かう。

わずかに土塀が残る勘場跡。吉田には勘場や代官所などの役所や、藩の公館である御茶屋が置かれた。

東行庵の裏手にある東行墓。東行は高杉晋作の号。

高杉晋作の死後、愛人だった「おうの」は尼僧となって晋作を弔った。

現在の東行庵はコンクリート造となっていて、2階は東行記念館。

第13話
下関市吉田
下関市吉田は江戸時代には吉田市といわれ、この辺りの商業の中心地。幕末には奇兵隊の屯所が置かれた。吉田市はずれの丁字路に建つ道しるべに従って、難所として知られる蓮台寺坂を目指す。

江戸時代には吉田市と呼ばれた。幕末の奇兵隊に関係する場所もある。

「右 上方道・左 萩道」上方道は下関地域での山陽道の別名。

庚申塚と申田彦の碑が並んで建っている。申田彦(猿田彦)は道案内の神。

途中からは地元の方の案内で蓮台寺に向かう。

蓮台寺の山門が見えてきたところで、今回はここまで。

第14話
引き続き下関市吉田の蓮台寺
下関市吉田の蓮台寺に安置されている十一面観音像などを見たあと蓮台寺坂を越えて山陽小野田市福田に入る。蓮台寺坂は、下関から山陽道を歩く人にとって最初の難所。

案内して下さった地元の皆さんと。

.

蓮台寺には下関市指定第1号の文化財「木造十一面観音」が安置されています。

こちらも下関市指定文化財の「銅製鰐口」

蓮台寺をあとにして山陽小野田市福田を目指しましたが、一部通行困難。引き返して別の道を進むことに。

この辺りは慢性的にぬかるんでいて、街道ウォーカーの間でも難所とされている。(蓮台寺坂)

第15話
山陽小野田市福田
~山野井
今回から山陽小野田市を歩くが、番組初の雨中のロケ。福田から山野井までを歩きます。

周りは田んぼと山ばかりでランドマークといえるようなものはありません。この辺りに福田の一里塚があったとされている。
この辺りに茶店があったといわれている。画面左下隅に見えているのは道しるべ。「右 吉田道・左 埴生道」

福田八幡宮。狛犬の脚の間に子どもの狛犬がいます。

山陽本線のトンネルの上の、ぬかるんだ道を進みます。

山野井地区に入ってきました。この辺りに御駕籠建場(おかごたてば)があったようですが痕跡はありません。

第16話
山陽小野田市山野井
山陽小野田市の山野井を進む。山陽道は山野井八幡宮を廻り込むようにして七日町へ。七日町には一里塚があったとされるが、痕跡はなくおおよその場所しかわからない。他に民家の裏にある「七日町古墳群」を紹介する。

長友バス停の近くから出発。



山野井八幡宮。境内には池森社(天神)も祀られている。

「七日町古墳群」の一つ、民家の裏にある横穴式古墳。出土品は厚狭図書館が所蔵。

七日町に戻ってきて山陽道を進む。この辺りに一里塚があったと思われる。

第17話
山陽小野田市山川~厚狭
山陽小野田市の郡(こおり)の山陽道は約1.5㎞にわたって真っ直ぐにのびる。古代の条里制によって、耕地が縦横四角に区切られたからだといわれるが、明治以降の都市開発により痕跡はほとんどない。途中、厚狭地区の英雄でもある寝太郎を祀った寝太郎荒神に立ち寄る。

山陽小野田市山川の石丸地区、大正川の近くから出発。大正川は江戸時代の絵図には「石丸川」と描かれている。

上代の厚狭地区は条里制によって四角に区切られた耕地があったといわれる。

厚狭駅の周辺は都市開発によって条里制の名残りはほとんどない。寝太郎を祀った寝太郎荒神社へ。

JR厚狭駅在来線口。

今回はJR美祢線を越えたところまで。

第18話
山陽小野田市
厚狭

山陽小野田市の厚狭川を渡って厚狭市に入る。

厚狭駅から厚狭川に向かう道。かつての商店街。この道は山陽道ではありません
厚狭天満宮。元々は川の反対側にあった「枝村家」の敷地内に鎮座していたという。

鴨橋を渡って厚狭市(いち)を進みます。
画面左に少し見えているのは中世以前の山陽道。江戸時代は美祢の伊佐に向かう伊佐街道
シメは鴨神社前

第19話
山陽小野田市厚狭~西見峠
鴨神社で江戸時代の石燈籠や手水鉢を見たあと西見峠を目指す。西見峠には一里塚があった。

鴨神社。



鴨神社の境内で見つけた砲弾型の記念碑。「征独紀念」と彫られている。第1次大戦の青島進攻を記念したもの

西見峠。この辺りに一里塚があった。
この先で国道2号と合流。


西見峠を越えて宇部市に。

第20話
山口県宇部市船木
西見峠を越えて宇部市に入ってきた。この辺りは旧楠町船木の逢坂(あいさか)地区。

今回から宇部市を進みます。

逢坂観音堂への道しるべ。観音堂には県指定文化財の「木造十一面観音立像(りゅうぞう)」が安置されている。

江戸時代末期の尼僧・千林尼(せんりんに)の石碑。この観音堂に住んでいました。

千林尼の石畳。千林は浄財を集め、宇部や山陽小野田市棚井など数か所で、道を改築しました。その石畳が残っています。

新川交差点の近く、長谷川玄道寺子屋跡。

第21話
山口県宇部市船木
宇部市船木の楠中学校前を出発。船木茶屋から船木市をあるく。大木森住吉宮。船木鉄道の舩木町駅は、現在も事務所として使われている。学びの森くすのきで船木鉄道の資料を見る。

楠中学校、船木小学校の前を出発。

茶屋交差点を渡って旧道に入るとしばらくして大木森住吉宮(おおぎもり・すみよしぐう)

大木森住吉宮の境内には数基の庚申塚がある。

船木鉄道の駅舎がそのまま事務所として使われている。
 

第22話
山口県宇部市船木
宇部市船木の北部総合支所近くの交差点から出発。船木は宇部市に編入されるまでは厚狭郡楠木町の中心地でした。江戸時代には厚狭郡の中心で,船木宰判の勘場がおかれ、御茶屋もありました.



宇部市北部総合支所の敷地内には色々な石碑がある。

徳基学舎跡の石碑。徳基学舎は毛利勅子らによって創設された日本で3番目に古い女児学校。

願成寺の山門には萩毛利家の家紋がある。

最後は岡崎八幡宮の境内。鳥居のそばに「県社」の石碑。

第23話
宇部市船木
宇部市船木の岡崎八幡宮から吉見峠を越えて厚東地区に入る。岡崎八幡宮は全国で4社しかない清酒の醸造免許を持つ神社。その年の秋の大祭で初めて新酒がふるまわれる。その祭りの様子も。船木一里塚跡。吉見垰は江戸時代船木垰(だお)・ハンジョウ垰と呼ばれた。

岡崎八幡宮境内の大クスノキの前から出発。このクスノキの樹齢は約700年。シーボルトコギセルという巻貝が自生している。

醸造殿の前で。岡崎八幡宮は全国で4社しかない清酒の醸造免許を持つ神社。

岡崎八幡宮の近くに船木の一里塚跡。

国道2号に出てきました。現在は吉見峠と呼ばれているが、江戸時代には舟木垰(ふなきだお)・ハンジョウ垰(だお)と呼ばれた

新幹線の高架が見える所までやってきたところで、今回はここまで。

第24話
宇部市吉見(厚東)
宇部市吉見。この辺りは厚東地区とも呼ばれる。

宇部市吉見を歩く。この辺りは厚東地区ともいう。山陽新幹線や国道2号をくぐって進む。

山陽道から一段下がった田圃のそば、萱曲古墳。後期古墳時代の横穴式石室の古墳。

下岡交差点を渡って200メートルほど進む。国道2号から左に入ったところが吉見市(いち)

この辺りに吉見市があったが江戸時代の早い時期になくなったようで、いつも使っている絵図にも記載がない。

厚東中学校前。この辺りに吉見氏の邸があったとされる。吉見氏は初代津和野城主。後に毛利氏の家来。

第25話
宇部市吉見(厚東)~二俣瀬瓜生野
宇部市吉見から二俣瀬の瓜生野へ。

厚東中学校(現厚東川中)の近く。地元の人によって建てられた標柱の前から出発。

この約800メートルの間は、数年前は通れなかったが、地元のグループによって整備された。

この看板は、別のグループによって建てられたもの。ここから先を「どんだけ道」という。

どんだけ道。今回はこんな道が続く。


第26話
宇部市宇部市二俣瀬木田~車地
宇部市二俣瀬の木田から車地に向かう。

二俣瀬の交差点から出発。後ろは国道2号。その向こうに見える小さな道が山陽道。

厚東川の木田橋は、昭和14年に架けられた山口県の近代化遺産。江戸時代には船橋だった。

木田橋を渡った向こうに見える建て物は、本家永山酒造。元二俣瀬村役場の建物。山口県の近代化遺産。

二俣瀬の渡し場跡。こちらは車地側。川向こうは木田。

車地と山中の境の辺りに「与助の首」という標柱がある。与助は天保の一揆で梟首された。

第27話
宇部市山中

宇部市山中。「上市」「下市」二つの市があった。



下山中の本陣が、この辺りにあったとされる。

大内氏ゆかりの薬師堂。家紋の大内菱も見える。

下山中(下市)の甲山川の傍に建つ「庚申塚」と「三界万霊碑」。



 第28話
宇部市山中~山口市江崎
宇部市山中(上市)の熊野神社前を出発。長門と周防の国境を目指す。

ここは熊野神社の社務所の前、山中交差点の近く。この辺りに上市の本陣があったといわれる。

しばらく国道2号を歩く。この辺りには史跡や観光名所、社寺もない。

山中交差点から1キロ弱。国道を渡って割木松(わりごまつ)の集落に入る。

割木松の坂を登ると、峠は宇部市と山口市の境界。

峠には、周防と長門の国境碑が建っている。一里塚はここより300メートルほど東にあったとされる。小瀬ヨリ24里、赤間関ヨリ12里。

第29話
山口県山口市嘉川





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山口市嘉川の江崎地区。3本の道が立体交差する山口宇部道路嘉川ICの近くを出発。地元グループが作成した地図も参考に歩く。

後方が旧国道2号、上が現在の国道2号小郡道路。さらに画面右上が山口宇部道路。

旧道に入って少し進んだ所に大きな石燈籠。

防府天満宮への道しるべ?江戸時代に講中によって建てられたもの。

幸の橋(こうのはし)近くの熊野神社。右手前に見えている手水鉢はハート形!

白松道の道しるべ。白松道はここで山陽道から分れて阿知須・宇部市床波に向かう往還道。

第30話
山口市嘉川
山口市嘉川の嘉川市を進む。嘉川地域交流センターの駐車場の傍に「百万一心の碑」と江戸時代に安置された3体のお地蔵さん。

山口県山口市の嘉川地域交流センター前を出発。JR嘉川駅の近くです。

センターの駐車場の隅に「百万一心の碑」が建っている。

百万一心の碑の隣に、江戸時代に安置された3体のお地蔵さんがあります。(中野三仏)

山口県の近代化遺産のひとつ平川邸は元医院。

出発してから2キロ近く進んだ辺りが嘉川市(いち)の中心。碑の向こうに見えているのは恵比須社。

第31話
山口市
嘉川
山口市嘉川のJR宇部線の上嘉川駅前を出発し、旧小郡町との境を目指す。上嘉川公会堂のあたりに一里塚があったとされるが痕跡はない。荒神垰(こうじんだお)で宇部線を越える。浄福寺境内には熊野神社が祀られ、神社の地下に浄福寺古墳があるとされる。

宇部線の上嘉川駅前から出発。JR宇部線は、元々宇部軽便鉄道(後に宇部鉄道)という私鉄だった。

途中に嘉川霊場の21番。浄福寺さんが建てられたもの。ここを過ぎた辺りに嘉川の一里塚があった。

荒神垰(こうじんだお)を切り通して造られた宇部線を越える。向こうに小郡の街が見えてきた。

浄福寺さんの境内。八十八ヶ所が安置されてる。こういうのを「写し(移し)」という。後ろは熊野神社の鳥居。

熊野神社。この下に浄福寺古墳がある

第32話
山口市小郡下郷
山口市小郡下郷の柏崎バス停のそばから出発。江戸時代の小郡には市があったが、その名は「津市(ついち)」。小郡宰判の中心地で御茶屋や代官所・勘場も置かれた。 

左に見える県道335号は旧国道2号。

ここで旧山陽道は国道9号を斜めに横切るが、ここは横断できないので地下道へ。

この辺りは津市下(ついちしも)。小郡の市は津市。近世の小郡は港町で、「津」は港のことです。

この角に高札場があった。真っ直ぐ行くと御茶屋・勘場跡だが少し回り道を。

御茶屋・勘場跡。

第33話
山口市小郡下郷~陶
山口市小郡下郷の東津河川公園から出発、山口市陶に向かう。陶では古代から陶器が作られ、国指定史跡の陶陶窯跡が残る。

東津河川公園。後ろに見えるのは東津橋。

藩米津出蔵跡の説明板。江戸時代、この辺りの椹野川下流は港で、年貢米を大坂へ運んでいた。

小郡一里塚跡。


日吉神社。絵図には山王と記されている。境内の燈籠などの石造物の多くは江戸時代に建立。

国指定史跡「陶陶窯跡(すえの・すえかまあと)」

第34話
山口市陶

山口市陶の日吉神社の参道入り口から出発。下市、上市と進み鋳銭司(すぜんじ)地区に入ります。途中、一里塚跡の傍に建つ謎の石「建石」(平岩とも)などを紹介。

艫綱の森(ともづなのもり)
200m南の国道2号沿いにあったものを移設しています。


山口市陶、下市のえびす社
上市のえびす社。社のそばには猿田彦が祀られています。

建石。別名、平岩、立石とも。この辺りに一里塚があった

山口市鋳銭司に入りました。ここは地名由来の「国指定史跡・周防鋳銭司跡」。鋳銭司(ちゅうせんし)は、平安~鎌倉時代のお金を造る役所(司)。

第35話
山口市鋳銭司(四辻)
山口市鋳銭司を歩く。この地は幕末に活躍した大村益次郎の生誕地。高橋橋の傍から出発し、長沢池まで。山陽道からは外れるが、まず大村益次郎の生誕宅跡を訪れる。

高橋橋(高橋川)の傍からスタート。


鋳銭司地域交流センター前。山陽道からは外れるが、線路下をくぐって四辻駅の方へ。

四辻駅から300メートルほどのところに、大村益次郎誕生宅跡。(山口市指定文化財)

今宿の旧道沿いに建つ碑は、野村久兵衛を讃えるもの。ここには、かつて住吉神社があった。

長沢池を作った東条九郎衛門就頼(就類)を讃える碑。

第36話
山口市鋳銭司(長沢池)

山口市鋳銭司の長沢池の畔にある弁天社から出発。大村神社や大村益次郎関連の資料が展示されている「鋳銭司郷土館」を見学した後、防府市との市境まで歩く。この辺りの山陽道は、江戸時代の初めに長沢池が造られて、池を迂回するように変えられた。

池の中を伸びる弁天社の参道から出発。

弁天社の鳥居の脇には大きな亀趺(きふ)が建つ。碑には「松島天女」の文字。

大村益次郎を祀る大村神社。明治2年、益次郎の兵制改革に反対する元長州藩士らによって暗殺された。

鋳銭司郷土館。大村益次郎や、周防鋳銭司に関する資料が展示されている。

長沢池の近くまで戻ってきて、山陽道を進む。このお地蔵さんは一丁地蔵。観音堂まで一丁おきに置かれた。

 第37話
防府市台道

防府市台道の長沢池から出発、大道公民館前まで。防府市には「台道」と「大道」、二つの「ダイドウ」がある。東条九郎衛門を祀った津山神社。山口高嶺大神宮の遥拝所跡の辺りに台道の一里塚があった。

長沢池は江戸時代初期に造られた溜池。

津山神社の祭神は、長沢池を造った小郡宰判の代官・東条九郎右衛門。

国道2号沿いの「ワッハッハ市」の傍に建つ大きな石灯篭は、かつてあった山口高嶺大神宮の遥拝所のもの。この辺りに台道の一里塚。

厳島六社大明神。天保時代に勧請された。

シメは大道公民館前の交差点。近くにえびす社と、山口道の道しるべがある。

第38話
防府市台道

防府市台道の大道公民館前をから出発、岩淵の佐野峠(だお)入口まで。冒頭から山陽道を離れ、山頭火ゆかりの酒樽や繁枝神社に寄り道。岩淵は風土注進案を監修した近藤芳樹の出生地。近藤の顕彰碑のそばには、近藤が碑文を書いた「孝女阿石の碑」が建つ。

大道公民館前を出発するが、山陽道を進まずいったん反対方向へ。。

山頭火ゆかりの樽。山頭火の父親が経営に失敗した種田酒造跡に残されていたものが移設された。

繁枝神社。白鳳13年の創建とされるが、白鳳は私年号。

岩淵市(いち)

佐野峠の手前、右は孝女石川阿石の碑。左は風土注進案を監修した近藤芳樹生誕地碑。

 第39話
防府市台道岩淵~佐野

防府市台道岩淵の観音寺から出発。佐野峠入口から郡境を越えて三田尻宰判に入る。佐野峠からの眺めは江戸時代から絶景と謳われ、御駕籠立て場があった。 

岩淵山観音寺から出発。観音寺は周防國三十三観音の第二十六番霊場。

鐘楼は吉川広正の正室が寄進したもの。防府市指定有形文化財。

郡境を越えいよいよ三田尻宰判に入る。
 

佐波川サービスエリアの上、配水地の近くに駕籠立場の石碑。

 第40話
防府市佐野~大崎
防府市佐野から大崎までを歩く。佐野地区では戦前まで佐野焼という陶器を作る家が120軒もあり、その起源は仲哀天皇の時代にまで遡るという。若宮神社には佐野焼の宮窯跡という石碑が建つ。玉祖(たまのおや)神社は周防一の宮。

佐野の西ヶ原下池(溜池)の前から出発。この池から200メートルほどのところに佐野の一里塚。

若宮神社。佐野地区は古来焼物の産地で、「宮窯跡」の石碑が建っています。玉祖神社の摂社。

玉祖(たまのおや)神社の参道入り口。国弊社という大きな石碑があります。玉祖神社は周防一の宮。

玉祖神社は日本書紀や古事記はもちろん、今昔物語にも登場する。9月には、県指定文化財「占手神事」が行われます。

国指定天然記念物の黒柏鶏。天孫降臨の際にやってきたという伝説があります。

 第41話
防府市大崎~佐波令
防府市大崎から今市までを歩く。

佐波川に架かる大崎橋の歩道橋から出発。この辺りが大崎と植松の境か。

佐波川を渡って、しばらく川沿いに歩きます。史跡などはありません。

灯籠に「一の宮」と彫られた荒神社。

千日交差点の辺りに佐波令の一里塚があったとされています。

今回は萩往還と交わるところまで。

 第42話
防府市宮市

防府市宮市を歩きます。この辺りの山陽道は防府天満宮の石鳥居の前まで、萩往還と重複しています。



定念寺のは、木喰作の仏像2体が安置されています。防府市指定文化財。

宮市本陣・兄部家の門。母屋は平成23年に焼失しました。 国指定史跡。

三田尻御茶屋・英雲荘。
国指定史跡


江戸時代から残る一室。毛利重就の時代には三田尻御殿とも呼ばれました。

 第43話
防府市松崎~国分寺

防府天満宮の石鳥居の前から出発。大専坊跡、拝殿、春風楼や野村望東尼の銅像など防府天満宮の境内を紹介した後、山陽道を進みます。

防府天満宮参道の石鳥居は山口県内最古のものです。


江戸時代には防府天満宮の別当寺だった大専坊跡。

防府天満宮の拝殿。昭和27年に焼失し、後に再建されたものです。国の登録有形文化財。

防府天満宮の石鳥居の前から200メートルほど東へ進んだ交差点を左折すると一等水準点。こちらが山陽道。

最後は周防国分寺。天平時代(奈良時代)に、聖武天皇の勅令によって創建されました。国指定重要文化財。

 第44話
防府市国分寺~国衙
防府市の周防国分寺楼門の前から出発。多々良を経て国庁跡を目指します。

周防国分寺の楼門の前を出発。

2016年春、周防国分寺の向かい側にオープンした直売所「スマイルほうふ」に寄り道です。

佐波神社。江戸時代には金切神社。律令時代には周防総社でした。

多々良大仏殿。


国庁碑。

 第45話
防府市牟礼~浮野

防府市岸津の旧国道2号沿いから出発。牟礼今宿の一里塚跡を通って浮野地区に入ります。



ここから浮野(うけの)地区に入ります。

春日神社への灯篭の傍を通過。この近くに高札場がありました。



駕籠立場のあった辺りは、国道2号防府バイパスのトンネルの近く。

 第46話
防府市浮野峠~富海
浮野峠を越えて富海に向かいます。今回はほとんどが山道です。

国道2号防府バイパス富海第2トンネルの手前を出発。後ろは防府バイパス。

今回は、ずっとこんな山道です。


何度か倒木を乗り越えたりくぐったりして進みます。

大内輝弘の墓。

眼下に海が見えてきて富海の市街地まであと少し。中央奥に見えているのは手掛岩。江戸時代にもここからの眺望は絶景といわれた。

 第47話
防府市富海

富海駅前から周南市との境――椿峠まで歩きます。

富海駅前から出発。


富海海水浴場に寄り道。この海岸は、南沙織のデビュー曲「17才」の舞台といわれています。

山陽道に戻って再スタート。駅の近くの山陽道沿いに大和屋政助の墓があります。

大和屋政助船蔵跡。


最後は防府市と周南市との境、椿峠です。


第48話
周南市戸田

今回から周南市を進みます。まずは戸田(へた)。江戸時代の戸田村は都濃宰判で萩毛利家の家臣・堅田氏の知行地でした。しかし、戸田市のなかでも都濃宰判と徳山藩が混在しています。

防府市と周南市の境の椿峠を出発。画面右側が国道2号。山陽道はここで別れて左に入ります。

この辺りに戸田(戸田山)の一里塚があrました。苔谷川から60メートルほど西です。

苔谷入口バス停で、再び国道2号と合流です。椿峠から1キロ近く。

戸田市を進みますが、戸田市は300m程度。


戊辰戦争の石碑。この向かい側には小さな池があり「宮島様」と呼ばれるエビスが祀られています。戸田市はここまで。

第49話
周南市戸田~夜市

周南市戸田から夜市(やじ)まで。

戸田市は後ろに見えているレンガ塀より向こうまで。夜市を目指します。

戸田の地名由来となった船山神社。戸田は「舮田」と書いて「へた」と読んでいたものが、いつのころからか「戸田」と記すようになりました。(注進案)

西徳山総合グラウンド。この辺りが戸田と夜市の境です。ここから徳山藩に入ります。下り坂は赤坂。

矢地市に入ってきました。

国道2号までやってきました。国道を横断して進みますが、今回はここまで。向こうに見えているのは戸田駅です。

第50話
周南市夜市~福川
周南市夜市から出発。夜市川沿いに川下に向かって進み、福川の市街地に入ります。夜市川沿いの「御姫町」という地名は、この辺りの開作が、徳山藩の御姫様のへそくりによって行われたことに由来するといいます。

原踏切の前。戸田駅の近くですが、ここは夜市です。

川沿いに300mほど進んだところに「夜市川」という大きな標柱があります。一里塚はこの辺りにあったようです。

山陽自動車道の下をくぐり、小さな川を渡ると、福川の「御姫町」です。

福川本陣町に入ってすぐ左手に石段があったので上がってみました。六十六部の石碑がありました。

享保14年4月、将軍に献上される象が長崎から山陽道を歩いてゆきました。福川本陣の辺りに、餌や水をやるための象小屋が造られたそうです。

 第51話
周南市福川~富田
周南市福川の本陣町を出発。旧国道2号と合流する辺りが江戸時代の福川村と富田村の境で温田です。温田には一里塚がありました。

周南市本陣町からスタート。この近くに福川本陣がありました。

福川本陣跡。門だけが残っています。(市指定文化財)

旧国道2号に出てきてすぐ、温田バス停の近くから左の細い坂道を上がります。


坂道を上がると温田観音があります。江戸時代には一里塚があり、茶店もあったようです。

平野で再び旧国道と交わりますが、ここで旧国道を渡って進むのが山陽道です。

 第52話
周南市富田


周南市富田を進みます。浄真寺には指定文化財の観音像や板碑のほか、幕末の諸隊・山崎隊の隊士が付けた刀傷が柱に残っています。山﨑八幡宮では、事前に収録した「本山祭」を紹介します。こちらも指定無形文化財です。

富田の浄真寺。

浄真寺の五輪塔(左)と板碑(右)。どちらも指定文化財です。

山﨑八幡宮。参道の左傍に見える鳥居は市エビスのもの。

山﨑八幡宮の本山神事(県指定無形民俗文化財)

勝栄寺は、「三本の矢」で知られる、毛利元就教訓状発祥の地。

 第53話
周南市富田~川崎

永源山公園の周南市富田側の入り口の前から出発。出発してすぐ、永源山公園の臨時駐車場に山陽道の道しるべがあります。

永源山公園の周南市富田側の入口。



新南陽郵便局の裏です。この辺りに鹿野街道の道しるべがあったと思われます。

富田川を渡ったところに荘寺八幡宮の灯籠があります。

川崎観音の参道。観音への大きな道しるべが建っています。

 第54話
周南市浦山~徳山駅前


周南市の川崎と浦山の境の近くから出発。ここから旧徳山市です。徳山駅前を目指します。しかし徳山の中心地は、空襲と戦後の都市開発で多くは消えてしまっています。

出発した辺りに浦山の一里塚がありました。

浦山交差点までやってきましたが、この先しばらく山陽道は残っていません。

恵比須神社。

野上町。この辺りに本陣がありました。



 第55話
周南市銀座~徳山
今回は糀町で山陽道から少し外れて、徳山藩の館邸のあった周南市文化会館を目指します。

銀座から出発。

徳応寺。

本正寺

児玉神社。



 第56話
周南市銀座~遠石
周南市文化会館から出発。ここは山陽道からは離れていますが、徳山藩の居館があった場所なので、前回から目指していました。

周南市文化会館から出発。ここは山陽道からは離れていますが、徳山藩の居館があったところです。

文化会館の隣の祐綏(ゆうすい)神社。徳山藩初代藩主・毛利就隆と9代藩主毛利元藩が祀られています。

山陽道まで戻ってきました。速玉町の孝女阿米像。

絵図に載っている荒神を探していて竃神社を見つけました。どちらも台所の神様です。



第57話
周南市遠石

周南市遠石を歩きます。

ここは遠石八幡宮より少し西ですが、八幡宮の所有地。この大きな石は影向石(えいこういわ)といい、遠石の地名由来ともいわれます。

遠石八幡宮までやってきました。

途中から雨が降ってきました。

早乙女之碑。

手水舎。

第58話
周南市五月町~久米

 

ここから五月町。早乙女坂(ソウトメザカ)です。


坂の途中に早乙女の碑がありましたが、現在は遠石八幡宮の隣の千日寺(廃寺)跡に移っています。

久米市に入る前に恵比須絵御見つけました。


久米市のエビスは移動していました。


久米と末武の境までやってきました。川を越えると下松市です。

 第59話
下松市末武中~花岡




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今回から下松市を歩きます。末武中の和田地区から出発。

末武川まで来たところで和田橋を渡らずに左折。

末武川沿いに上ります。

この辺りに広石の一里塚がありました。





第60話
下松市末武上花岡

山口県下松市の末武上を歩きます。一般的には花岡といったほうが判りやすいかもしれません。

下松市末武上の周防花岡駅の前から出発。

閼伽井坊

花岡八幡宮の随身門。

花岡八幡宮の石段を上ると、途中に閼伽井坊多宝塔があります。藤原鎌足創建と伝わり国指定の重文です。

花岡八幡宮は重源上人再建と言われています。

 第61話
下松市花岡~生野屋


 

前回に続い下松市花岡てす。まずは山陽道沿いにある法静寺(ほうしょうじ)に立ち寄ります。

法静寺の境内には花岡福徳稲荷も鎮座しています。毎年11月3日にキツネの嫁入り(稲穂祭)が開かれることで知られています。

法静寺の(道を挟んで)隣には花岡勘場と御茶屋がありました。

花岡勘場跡から300mくらい進んだところに、一部が暗渠になっている小川があります。生野屋との境で、ここから徳山藩領です。



 第62話
下松市生野屋~岡市

 

生野屋交差点から出発。ここは山陽道ではありません。

国道2号から1本南に入った道です。生野屋交差点のすぐ近くに、慶応四年建立の灯篭があります。「御武運長久」



武運長久と彫られた灯篭と恵比寿の社です。この辺りに岡市の一里塚がありました。

高良社の上り口傍にあったのは、「息のお地蔵さん」。他に千手観音と火防地蔵も。

 第63話
下松市久保市~周南市(旧熊毛町)境


 

岡市から久保市に下ってゆく途中に妙見社の灯篭がありました。

小林武作君之碑。


久保市のエビス。下に亥の子石が置いてありました。

由加神社。壁に鏝絵がありました。

都濃郡と熊毛郡の郡境碑(再建)。再び周南市に入ります。ただし旧熊毛町。

           
第64話
周南市大河内(旧熊毛町)~呼坂

         

 第65話
周南市呼坂~高水(旧熊毛町)
周南市呼坂(旧熊毛町)の勝間駅から高水原を目指します。

周南市呼坂の勝間駅前を出発。

呼坂市に入ると、吉田松陰・寺嶋忠三郎訣別の碑があります。

呼坂本陣跡。


神武天皇を祀っている橿原神社です。



第66話
周南市高水(旧熊毛町)

周南市高水原(旧熊毛町)の高水駅前から出発。岩国市との境を目指します。

高水駅前を出発。

今市に入ってすぐ、左手にお堂が二つありました。





熊毛郡と玖珂郡の郡境碑。ここから岩国市。

第67話
岩国市差川

今回から岩国市を歩きます。周南市と岩国市の境から出発。後に郡境の碑が建っています。近年になって丸子坂が通れるようになりました。

周南市と岩国市の境を出発。岩国市差川を歩きます。

道より一段高い所の林の中に、賽神社(塞ノ神)があります。

丸子坂に入ってきました。

新道に合流したところに宗泉寺という廃寺の跡があります。

ここからは山口県道144号を進みます。


第68話
岩国市差川~西長野

 

JR岩徳線の米川駅前を出発。ただし、駅前の県道144号は山陽道ではありません。

島田川沿いの土手が山陽道です。

県道と交わる辺りに差川の一里塚があったようです。


県道と岩徳線ぼ線路の間に大きな孝行碑が建っています。



 第69話
岩国市西長野~下久原

 

岩国市立米川小学校の近くから出発。

斎宮(いつきぐう)神社の参道。


周防国三天神のひとつ、高森天満宮。

和田利右衛門が寄進した灯篭がありました。

天満宮の近くの天神橋を渡って島田川の対岸に行ってみました。この辺りから撮られた古い絵葉書うを紹介します。

第70話
岩国市下久原高森市

 

岩国市周東町下久原の高森下市から出発します。

進行方向右手に「吉田松陰先生宿泊之地」という石碑が建っています。萩へ護送される時に泊まっています。

宇野千代文学碑。ここは千代の父親の実家があった所で、少女期をここで過ごしました。

妙見社への道しるべです。


脇本陣を務めたこともある受光寺です。幕末の諸隊・遊撃軍が残した落書きもあります。

第71話
岩国市下久原高森上市
岩国市周東町の高森交差点の近くから出発。椙杜八幡宮の由緒や高森の地名由来を紹介。

椙杜(すぎのもり)八幡宮参道入口の西30mのところに、高森上市の一里塚がありました。

石段の途中に木造の神馬があります。

椙杜(すぎのもり)八幡宮。椙杜氏が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請しました。

世木君之碑。太田・絵堂の戦いで戦死した奇兵隊士・世木騎六を顕彰する碑です。

妙見道の道標。岩国市指定文化財。

第72話
岩国市玖珂町阿山~本郷
今回から岩国市玖珂町に入ります。玖珂にも三つの市がありました。本郷市、新町(新市)、阿山市といいます。今回は阿山から新市まで歩きます。

菅原神社前を出発。


菅原神社のサカキ。岩国市指定文化財。


阿山の市エビス。並んで建つ地蔵堂には弘法大師像もありました。

玖珂のアメダスにも立ち寄りました。

玖珂本郷市の恵比寿社。

第73話
岩国市玖珂町駅前~野口


岩国市玖珂町の玖珂駅前から野口までを歩く。
戦国時代、鞍掛合戦で毛利元就に滅ぼされた、鞍掛城主杉隆康父子の墓や義民田坂市良右衛門碑、岩隈八幡宮などを訪れる。玖珂町野口には赤間関より32里、小瀬川より4里。かつて一里塚があった。

玖珂駅前交差点の近くから出発。

鞍掛城主・杉隆康父子の墓。

義民・田坂市郎右衛門碑。

岩隈八幡宮。

今回は上野口第2踏切まで。ここから欽明路駅が見えます

第74話
岩国市玖珂町欽明路
岩国市玖珂町の欽明路前の近くから欽明路までを歩く。
休校中の中野口分校を活用した東部コミュニティセンターや学制記念碑、周防源氏武田家屋敷址などを訪れる。また、奈良時代の創建とされる欽明寺では、駐車場の隅に建ち「石仏」といわれる謎の石を紹介する。

欽明路駅の近くから出発。

東部コミュニティセンター。かつての玖珂小学校中野口分校です。

岡部新五左衛門の碑。

周防源氏武田家、稽古屋敷跡。

欽明寺。欽明天皇が御輿を下ろしたという伝説に由来する。

第75話
岩国市玖珂町欽明路~柱野二軒屋
岩国市玖珂町欽明路の欽明寺前の近くから、新道七曲坂を越えて岩国市柱野に入る。欽明路峠は山口県内の山陽道では最も標高が高い。

欽明寺の近くから出発

新道の七曲坂。








第76話
岩国市柱野二軒屋~一軒屋

岩国市柱野の欽明路隧道(欽明路道路)の近くから出発。

欽明路道(県道15号)の欽明路隧道の近くから出発。

三十番神が祀られていました。

この辺りに二軒屋の一里塚。特に目印はありません。





第77話
岩国市柱野古宿~柱野市

岩国市柱野の古宿から柱野市に向かいます。



岩国市有形文化財・千体仏

柱野本陣跡。現在は上市の集会所が建っています。

古い御庄川と現在の御庄川がここで交わります。



 第78話
岩国市柱野駅前~御庄
JR岩徳線の柱野駅前から出発。ただし駅前は山陽道ではありません。思案橋が柱野と御庄の境。


柱野駅前.


この辺りに一ノ瀬の一里塚。


思案橋。ここから御庄に入ります。


大歳神社。


山陽新幹線の新岩国駅が見えてきました。今回はここまで。

 第79話
岩国市御庄

 

御庄小学校のそばから出発です。が、……

ちょっと寄り道。錦川清流線と山陽新幹線をくぐって県道1号のほうに向かいます。







 第80話
岩国市多田
錦川の河川敷から出発。

この辺りに御庄の渡り場がありました。



多田の渡り場ですが、山陽道からは外れています。





 第81話
岩国市御庄~岩国町

 


       

  関戸は江戸時代より前に関所があったところ。江戸時代には本陣もあり宿場町でした。
第82話
岩国市関戸


多田からここまでは岩国往来と重複しています。


「吉田松陰先生東遊碑」







           
           
第83話
岩国市小瀬

         

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