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江戸時代、古開作干拓が行われた頃に作られた古い通りです。
セントラル通りと平行に、柳井川から土穂石川まで真っ直ぐに伸びています。
使用した柳井日日の記事 1 2 3 4
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熊毛郡郷土誌 |
大正時代には中塚と平生町佐賀との間で乗り合い馬車が走っていたということですが、今となってはどこが起点だったのかは不明です。
馬車の台数の記録は、「熊毛郡役所」発行の書物に記載されています。
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大正時代の初め頃まで、県と町村の間に「郡役所」というのがありました。 |
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写真を左右(東西)に走っている道路は江戸時代に造られたものですが、上下に走っている道路は大正の10年代に造られました。
しかも、同じ大正時代でも、この交差点の北側(写真上側)が先に造られ、少しあとに手前の道路が造られて四辻になりました。
そのせいでしょうか、おかしな交わり方をしています。
昭和40年頃まで、この交差点から樋ノ上の五叉路辺りまでを、「祝町」呼んでいたらしい。
使用した柳井日日の記事 1 2 3
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中塚の中心部から柳井川に向かって(北東へ)歩くと、柳井川の少し手前で斜め左に分かれる道がある。
明治時代に宝来橋への近道として造られた。
明治30年に山陽鉄道の柳井津駅が開業した後、駅通りが造られ本橋が架けられるまでは、宝来橋が交通の要所だった。
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さらに柳井川の方へ向かって行くと、柳井川沿いの道にぶつかる手前で少し左に曲がっている。
これは中塚通りと同時期に造られたセントラル通りとよく似ている。
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中塚の交差点(ひゃくぶ時計店前)から少し南東に行った辺りの道も大正時代に造られている。
この辺りは「大正町」と呼ばれたこともあったようだ。
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こぼればなし
時間の関係で放送できなかったものも多数あります。
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